明治22年(1889年) |
東京都葛飾区にて創業。中川と荒川に挟まれた豊富な水を利用した、小幅綿布の晒を生業とする「丸三晒」を初代瀧澤三次郎が興した事に遡る。
その後、農業だけでこれといった産業も無かった町内でブームになり、戦前には川沿いに20軒以上、東京近郊を含めると百社以上の専業者が軒を連ねたという。
当時の普段着と言えば、通称「半だこ」と呼ばれた木綿の半ズボンやゆかたで、三河木綿や真岡木綿を晒し草加地区などの染工場で染められていた。
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昭和22年(1947年) |
戦前の「瀧澤漂白工場」を経て東京和晒有限会社を発足。本格的にゆかた晒の工業化に踏み切った。
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昭和40年(1965年) |
株式会社に改組。
ゆかたの需要は戦後、花柳界を中心に漸増し昭和29年頃には最盛期を迎えたが、洋装文化の広まりとともに斜陽化が進んだ。
同業が相次いで転廃業していく中で、先代瀧澤一郎兵衛は極短納期対応、在庫設置機能に生き残り策を見いだし、クイックデリバリーサービスを柱とする事業体制の基礎を築いた。
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昭和60年(1985年) |
立地条件と設備を活かし、ニット生地の仕上げ・風合い・検査加工を開始。ゆかたの国内生産が減少を続ける中、洋装部門へ進出した。
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平成6年(1994年) |
インターネットでホームページを開設。オリジナル手拭・伴天・のれん等商品の受注製作部門を本格稼動させる。
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平成10年(1998年) |
経営合理化に成功した都内製造業7社に選ばれ、東京都知事賞を受賞する。
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平成11年(1999年) |
工場の「超速小口染色加工」を開始し、繊維加工についてのオールラウンドな対応が可能になる。
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平成23年(2011年) |
幾つかの廃業した工場従業員や資源を受け継ぎ、守備範囲を拡げて行ったが、平成21年のリーマン・ショック以来の受注減、ファストファッションの台頭などにより、採算の悪化した本社工場(無地染・整理部門)を閉鎖する。
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平成24年(2012年) |
手拭・伴天などの受注生産を増やすべく、リアルな交流拠点として、「浅草お祭りミュージアム」(東京都台東区雷門2-3-5
)を開館する。
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平成25年(2013年) |
新たな「手拭作り文化」の創造の拠点として東京和晒創造館をオープンする。
W世界でここだけ!”手拭染体験教室の開催と、手拭展示ギャラリー(豊田コレクション)の常設展示、クリエイターの手拭販売など、より多くの方々に手拭の魅力を知っていただくよう、様々な企画が進行中である。 |